2007年05月30日
神風特別攻撃隊
この頃には、日本軍の制空権や制海権の完全な喪失に伴い、日本近海に迫るようになった連合軍の艦艇に対する神風特別攻撃隊による攻撃が毎日のように行われ、連合軍艦艇に甚大な被害を与えるなど、日本陸海軍も必死の反撃を行うものの、戦争経済に関する大局観を当初から欠いている上、既に1国のみで孤独な戦いを続ける日本の降伏はもはや時間の問題となった。この前後には、ヤルタ会談での他の連合国との密約、ヤルタ協約に基づくソビエト連邦軍の北方からの上陸作戦にあわせ、アメリカ軍を中心とした連合国軍による九州地方への上陸作戦「オリンピック作戦」と、その後に行われる本土上陸作戦が計画されたものの、日本軍の軍民を結集した強固な反撃により双方に数十万人から百万人単位の犠牲者が出ることが予想され、計画の実行はされることがなかった。
原子爆弾が投下された直後の広島
原子爆弾で破壊された長崎の浦上天主堂アメリカのハリー・S・トルーマン大統領は最終的に、本土決戦による自国軍の犠牲者を減らすという名目と、日本の分割占領を主張するソビエト連邦の牽制目的、さらに非白人種への人種差別意識も影響し史上初の原子爆弾の使用を決定。8月6日に広島市への原子爆弾投下、次いで8月9日に長崎市への原子爆弾投下が行われ、投下直後に死亡した十数万人にあわせ、その後の放射能汚染などで20万人以上の死亡者を出した。なお、日本でも原子爆弾の開発を行っていたものの、制海権を失ったことなどから開発に必要な原料の調達が捗らなかったことなどから、ドイツやイタリアからの亡命科学者を中心に開発を行っていたアメリカに先を越されることになった。
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